イエティを探す旅に出る(仮)

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憲法における義務規定

正面切っての憲法改正議論が落ち着きを見せている中、僕の常識を否定する憲法理解を発見したので、それについて考えたいと思います。

 
それは、「国民の義務」という考え方。僕は憲法に義務規定を置くことが失当であると感じて生きてきました。なぜなら、憲法は国家権力を縛る法と学んだからです。ところが法学者である名古屋大学大屋雄裕教授(専門-法哲学)はそのような考えを「妄言俗説」であると否定しています。
 
それについて明確な論拠がイマイチ掴めないのですが、僕を含む義務規定反対派に対する1つの反論として、「他国の憲法には義務規定がないと言うけど、他国の憲法にだって義務規定はあるよ」という意見を述べていることはわかります。しかしこれについては、どちらの立場にいるとしても「他の国がこうだから〜」というのは説明として十分とは言えないでしょう。
ブログに対するコメントに彼が返信した内容を引用すると(かなり長くなります)、
 
>Gryphonさん
ども。そういやちゃんと書いてないんですが、きちんと書こうとするとちょっとステップ数が増えることに気付いたので(社会契約と実定憲法の違いと、しかしそれがエクスキューズにならないことを言わないといけないのですが、originalismの問題なんかがあるのでちょっと難しい)、とりあえず直感的な話として実例から挙げると日本国憲法26条2項(教育の義務)・27条1項(勤労の義務)・30条(納税の義務)というのがあるわけで、まあ「憲法に義務を書くのはおかしい」派の人たちが「だから日本国憲法を改正しよう」とまで断言したらちょっとは尊敬しますが実定的にはまず誤りですね。ちなみにドイツ連邦共和国基本法6条(2)(教育を受けさせる義務)、12a条(兵役義務と役務義務)、14条(2)(所有権には義務が伴う)というのもあるので日本だけが違うというわけでもないです。
英米仏という市民革命の先進国にはないと言い始める人がいるかもしれないのですがつまりここがキモであって、たとえばフランス人権宣言(1789)13条は租税の公平な分担を定めており。これは租税負担の義務があるという前提で考えないと意味がない。アメリカ合衆国憲法8節(1)は租税賦課の権限を連邦議会に認めており、これも反射的に国民の義務が発生すると考えないと無意味である。つまりどちらかというと国家の権限構成で書いている憲法と国民の義務構成で書いている憲法があるけれども、いずれにせよ憲法が国民の義務を規定するものでないとはまったく言えないと言うことになるでしょう。
なんでこういう違いがあるかという点については、ご指摘のように歴史的な問題として君主の絶対的な主権を前提にしてそれに制限を加えるという考え方で書いた時代と、新たに国家権力と人民の関係を取り決めるという感覚で書いた時代の差というものもあるだろうと思います。
私の考えではしかし、根本的な問題はそこで規定される義務が「国家」という存在を想定しない限り意味をなさないものか(eg. 国を愛する義務)、市民相互間の権利の反映として理解できるものか(eg. 国を裏切らない義務)という点にあります。前者を規定するのはおかしいという話なら理解できるのですが、義務をすべて一緒くたにして否定する発想というのは、実のところ国家というものを市民の合意を離れた実体として想定しているわけですから、国家に対する幻想の強化に貢献しているよな、と思うわけではあります。
ええと、最後の方がわかりにくいと思うのですがきっちり書く暇がないのでこのあたりでご勘弁。

 
とのこと。ふむ、やっぱりよくわからない。後半の義務を2つに大別するところがキモのような気がします。
ただ、市民相互間の権利を反映しての義務規定というのならば、現在まで議論されてきた憲法の私人間適用など全く不要とされるのではないでしょうか。その義務規定さえ存在すれば、わざわざ私人間適用を持ち出さずとも私人に憲法上の義務を負わせることができるわけです。しかしながらそうされなかった理由は、やはり憲法の「国家権力の抑制」という性質が関わってくるのではないかと思います。誰かに権利を認めるということは、排他性を与えるにせよ相手に義務を課すにせよ、不自由が生まれます。それをわざわざ義務規定として置くことにも必然性を感じません。
ともかく、本人も認めるほどわかりづらくなる解説を必要とする義務規定肯定論ですので、反対派を「妄言俗説」と切り捨てるのはいかがなものかとは思いますね。
 
僕の人生初のゼミは憲法学でした。その時の教授の思想にも大きく影響されている部分があるでしょうが、近代以降も受け継がれてきた「憲法が国家権力を抑制する」という立憲主義の本旨は十分尊重に値すると考えています。
しかし、現に日本国憲法に義務規定が置かれている以上それを所与として議論することも重要です。上記の意見は一法学部生が感覚的に書き連ねたに過ぎないものなので、反論や補足などが欲しいところです。