イエティを探す旅に出る(仮)

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government of the people

今日は古典に挑戦します。リンカーンの「ゲティスバーグ演説」です。これは1963年、南北戦争の中ゲティスバーグ国立戦没者墓地の開所式に際してのリンカーンの演説です。
"人民の人民による人民のための統治"というあまりに有名な一説ですが、この「人民の」という部分について違和感を持っている人は少なくないと思います。「『人民の』と『人民による』って一緒じゃないだろうか」という意見です。僕もずっと疑問でしたが、今まできちんと考えたことがありませんでした。英和辞典を片手に、少し検討してみます。


「人民の人民による人民のための統治」という一説が含まれたセンテンスは、

It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us- that(略)-that(略)-that(略)-and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

という形になっています。「ここで我々の前に残された大仕事に身を捧げるべき者はむしろ我々である。」という文に対しthat節によりthe great taskを修飾していると解釈しました。ここから有名な一説を考えていきます。
ちなみに「(government of the people, by the people, for the people)がこの世から失われることがないこと」=the great taskという構成であることを前提とします。

おそらくbyとforについては異論なく、「人民による」「人民のため」と訳されると思います。問題はof。辞書を引くとやたらたくさんの訳が出てきます。
まず所属・所有です。ここでは「人民に属する統治」「人民が手にする統治」と訳しましょう。これは主語として人民を捉えています。よってbyと近い語義だと思われます。
次に目的関係を考えます。これはとある知人が主張していた「人民を統治(する)」という和訳です。割と説得的ですね。
最後に根源・出所。「人民から・人民由来の統治(権)」「人民からなる統治」とでも訳しましょう。これが僕の気に入った和訳です。

2つ目の訳は読んでみるとスッキリします。「人民に対する、人民による、人民のための統治」となり、民主主義における自己統治を連想させます。しかしここで考えたいのは、統治とは前近代やもっと前からずっと被治者に対するものです。言い換えれば、わざわざ明らかにする必要がないということです。

そこで3つ目の訳が登場します。「人民(の権利)に由来する、人民による、人民のための統治」とします。これは個人的にも良い出来だと思います。美しくはないですが、この和訳にはストーリーがあります。「人民が根源的に有してきた統治の権利、それを人民自ら行使することにより、人民のために統治が行われる」ことを示しているのではないでしょうか。これに則れば、人民の行使する統治の権利は根源的な権利であり、近代以降の通説的理解である自然権思想にも整合します。

有名な話ですが、このgovernmentの一説を受ける形で日本国憲法の前文が一部作られています。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

これと併せて考えると、やはり権利の由来として理解するのが自然であると感じます。


人民に由来する、人民による、人民のための統治はこの地上から失われてはならない。
これが僕の考えた和訳です。
1つ確実なのは、リンカーンの考えていたことは、究極的には本人しか知り得ないということです。その中で僕らが考えられるのは、先人の知恵を借りていかに理想的な統治を維持できるかということだと思います。