イエティを探す旅に出る(仮)

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集団的自衛権と立憲主義

集団的自衛権容認の閣議決定がなされました。賛否が分かれている現状ですが、少し自分の意見を書いておきたいなと思います。
しかしはじめに確認しておきたいのは、これらの価値判断があたかも人間の評価につながるような風潮に全く賛成できないということです。ネット上では自分と異なる立場の人に対して「ネトウヨ」「在日」といったくだらないレッテル貼りが行われています。これらは現実での議論を萎縮させる大きな要因になりえます。

いきなり脱線しましたが、本題です。まず僕は今回の解釈改憲には反対の立場です。
1つ目に、首相の説明における個別的自衛権との違いが曖昧なままであることが挙げられます。首相が毎回例に出す、「邦人を乗せた米艦」の支援は個別的自衛権の範囲内ではないのでしょうか。しかもこの場合の日本人救出については以前アメリカが拒否していたはずです。国民に受け入れられやすい例を挙げたのでしょうが、現実的ではないと思います。
また手続き論として、憲法解釈を簡単に変えられるようにすることは96条を死文化させます。この規定は我が国の憲法硬性憲法であることを示すものであり、議会で充分な議論を行うべしという起草者の思いが込められています。民主党政権に対して及第点を与える人はほとんどいませんが、あの政権交代も民意によってなされたものであることに鑑みれば、民意や高い支持率を背景に解釈改憲を容易に行うことや単純多数決による改憲を認める風潮は否定されるのではないでしょうか。
もう1つ。これは賛成派・反対派それぞれに言えることですが、自説のデメリットを受け止めてその上で議論を行うという姿勢に欠けるところがあります。重要な問題であるほどにメリット・デメリットを挙げ議論することが必要であるにもかかわらず、お互いが言いたいことを言い続けて議論が平行線を辿っています。仮に反論がないならば一度それを認め、その上で比較衡量することにより決するという態度は存在しないのかなという思いが強くあります。

一方、反対派の人々に対する疑問も当然あります。徴兵制が始まるとの意見が見られますが、現実にそのような「制度」が生まれると思っているのでしょうか。まず彼らは「戦争反対」「徴兵反対」とデモを行っていますが、集団的自衛権の行使による参戦というケースがそう簡単にやってくるとは思えないのです。例えばアメリカに協力するとして、アメリカはどこの国と戦争をするのでしょうか。反対派の人の意見は現実的ではありません。

ただ気になることは、石破さんの徴兵に対する考え方。政府の見解では徴兵は憲法18条の保障する奴隷的拘束を受けない権利を侵害するためあり得ないとしています。しかし石破さんは徴兵を奴隷的苦役とは考えず、当然のこととしています。この考え方が一定の賛同を得られたならば、その時にまた解釈改憲を行うことでそれが認められるということも考えられます。現にこれまで集団的自衛権については認められないとする解釈が続いてきたにも関わらず、解釈改憲は行われました。
今回の問題点は集団的自衛権そのものではなく、その過程にあるものだと感じています。いわゆる立憲主義というものは民主主義と必ずしも対立するものではありません。僕は民主主義を立憲主義の上に成り立たせるものだと考えています。まずは権力の横暴を抑えること、それこそが民主政を安定的に機能させると思います。時の政府が完全な白紙委任を受けていると考えることは非常に危険であり、問題を矮小化して捉えることのないよう理念としての政治に目を向けていきたいと思います。