イエティを探す旅に出る(仮)

ブログ名と内容は一切関係ありません。主に音楽、政治、哲学、お酒の話をします。

感謝。決意。

2014年9月7日、僕の恩師が他界しました。45歳という若さでの急逝であり、未だに信じられない思いです。

今日の記事は彼との短い付き合いを振り返りけじめをつけたいという思いから書くものであり、今まで以上に個人的な内容となっています。ですのであまり読むことをお勧めしません。

 

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先生との出会いは高校1年生の4月でした。新たな生活に大きな期待もなく、「彼女でもできればいいなー」くらいしか考えていない中で、世界史の教科担当であり担任の先生として知り合ったのが僕の恩師であるA先生です。

初めてしっかり話したのは夏休み前。勉強の相談に訪ねた時に志望校が東大であると伝えると、後日テキストを貸してくれました。1年生の夏休みにも関わらず、英文法最難関大レベル。苦手だって言ったのになあ。この先生、ちょっと変だけど面白い。

 

なぜか始まってしまった受験勉強。ちょうどその頃、先生に懐いていたNくんと知り合いに。そして1年生の終わり頃から、Nくんと一緒にバンド活動がスタートし、ついでに勉強会を毎日やるようになりました。

学年末テスト直前、僕のクラスはさながら動物園のようでした(一応市内でトップの進学校なのに!)。そこでNくんとともに先生のところに行き、勉強場所の相談をしました。今考えれば先生も図書室や他のクラスの教室を勧めればいいだろうに、「わかった。空き部屋を開けるから」と言って教員用の準備室を(他の先生に無断で)貸し出してくれました。そうこうしているうちに試験が終わり、2年生になりました。先生と最も親しくなった年です。

 

2年生になって、僕は勉強が楽しくなっていました。そこでNくんとともに、先生に勉強部屋を開けてもらえるよう交渉しにいきました。二つ返事で了承され、そこから毎日19時頃まで勉強をするようになりました。ちなみにリア充のNくんは友達付き合いが大変忙しく、いつの間にかドロップアウトしていきました。このやろう。

毎日先生と話す中で、彼はお酒や食べ歩きが好きなこと、これまでの教え子ともたまに飲みに行くことを聞きました。この頃から職員室に行って添削を受けることも増えました。彼は世界史・日本史・倫理・政治経済が担当で特に倫理が専門です。その中で教科書には載っていないエピソードなどを交えて興味深い説明をしてくれました。なにより、いつも僕の努力を認め、励ましてくれました。

 

受験が近づくにつれて、東大との差が埋まらなくなっていきました。それでも彼は一度も志望校を変えることを提案してきませんでした。ある時(大学に入ってからだったかもしれません)彼が言った一言が印象的でよく覚えています。

「先生の中には志望校とのギャップをはっきり示して早いうちから違う学校を強く勧める人もいるし、それも1つの指導だと思う。ただ僕は最後まで努力しようとする生徒を見て、わずかでも可能性があるならそれを信じてやりたいんだよね。センター終わってからでも出願先は変えられるし。」

 

結局前期の試験は不合格で、後期で地元の大学に合格しました。電話で合格を伝えた時、先生は噛み締めるように「まず良かった、良かった」と言っていました。

前期不合格の時に一番落ち込んでいたのは先生だったと思います。というよりも、責任を感じているような、申し訳なく思っているような様子でした。ただ、僕も彼に申し訳なさを感じていました。というのも、「今までの教え子で東大に行った子はいないんだ。だから寝不足くんを東大に入れたいんだよね」と言ってくれてたことがあり、彼はそのために自分の時間を削って受験のサポートをしてくれていたからです。

本当に感謝、感謝です。

 

合格後は1,2ヶ月に1度のペースでご飯に行きました。最近では色々なバーにも連れて行ってもらい、オトナの嗜みなんかも彼からたくさん学んでいました。二人で酔っぱらって政治の話をしたり、哲学について熱く語ったり、先生の学生時代の話を聞かせてもらったり僕の高校の時の話をしたりNくんを交えて美味しいものを食べに行ったり。時にはカクテルパーティーというイベントに連れて行ってくれる時もありました。

 

そんな彼が入院したと聞いたのは、今年の2月。大学の試験が終わりまた先生と飲みたいと思い連絡すると、白血病で入院していると聞かされました。頭が真っ白になるという体験は初めてでした。急いで病院の無菌室に向かうと、多少痩せ髪が抜けてしまってはいたものの、いつも通りの先生がいました。一安心と思った矢先、4月の中旬に先生と連絡がつかなくなりました。病院にお見舞いに行っても「この病棟にはいません」なんて言われて、そんなはずないだろと思いましたがどうすることもできず1ヶ月が過ぎました。

5月の下旬、先生から久しぶりに連絡が入りました。肺炎を併発し1ヶ月以上意識不明でICUで治療していたこと、ずっと寝たきりだったため立てない状態であること、何より僕の公務員試験の激励のメールが送られてきました。こんな時くらい人の心配しないで自分のことを考えてよとも思いましたがそれも彼らしいなと思いました。そして僕は順調に試験が進み、8月を迎えます。だいたいの試験が終わって結果待ちの中、先生の外泊許可が出ました。2日に久しぶりにご飯に行くこととなり、先生も歩行のためのリハビリを一生懸命行っているようでした。当日ご飯を食べる前に、彼からプレゼントを貰いました。少し前が僕の誕生日で、そのプレゼントを買ってから来たようです。久々の外出でしたがいつも通りに二人で飲んで、その日は解散しました。13日には希望官庁から内定を頂きました。真っ先に先生に報告しに行くと、本当に喜んでくれました。予め買っていてくれた内定祝いを貰ったのですが、いつももらってばかりで申し訳ないやら嬉しいやら。その後も何度か足を運びました。

 

9月8日、高校の同期から電話が入りました。前日に先生が亡くなったことと葬儀の日程が知らされました。まずその事実を受け止めきれませんでした。悲しいとか辛いとか、わからない。信じられない。信じたくない。

その日はバイトがありましたがずっと放心状態でした。次の日に通夜があり、その夜友人の家に泊めてもらいました。信じたくなくてウイスキーを注がれるままに飲んで、号泣して、いつの間にか布団に寝かされていました。

出棺の日、涙は見せたくないと思いました。最後くらい笑って「ありがとう」と見送った方が先生も喜ぶんじゃないかと考えていました。しかし、棺の中の先生の顔を見たとき、どうしても涙が流れてしまいました。そうして、棺は火葬場に向かっていきました。

 

 

彼はまっすぐな人でした。初めての授業の時、「やる気のない人は、授業の邪魔だけはしないでください」と言い放ち生徒を戦々恐々とさせたことから始まり、その後やる気のある子には苦労を惜しまずいくらでも協力してくれた先生。入学後すぐには生徒から敬遠されていたにもかかわらず、卒業の時には関わった生徒みんなから愛されていた先生。オシャレで、女子生徒から褒められていた先生。笑う時は恥ずかしそうに視線を落とし微笑む先生。いつも僕ら教え子の将来を気にかけ、自分よりもまず僕らのことを心配していた先生。

 

後悔はたくさんあります。内定祝いに貰ったのが財布だったのですが、先生は僕が高校時代からずっと同じ財布を使っていることを知っていました。しかしちょうどこの夏に財布を新調し、その財布を持ってお見舞いに行った時にお祝いをもらいました。僕は内定祝いをもらったことに驚き、またそのタイミングにも驚き、嬉しそうな顔を忘れていたんじゃないかと不安になっています。もちろん感謝の言葉は伝えようとしましたが、もっと感謝の気持ちを伝える方法があったんじゃないか、ホントに嬉しかったのだからもっとストレートに感情を出してもよかったんじゃないか、そんな思いです。これだけではなく、数えたらキリがないほどやり残したことがあります。

ただ、彼が目を閉じる前に内定の報告ができて本当によかったです。一度意識を取り戻してから8月まで、ずっと相談に乗ってもらっていました。これが恩返しになるとは思っていないけれど、先生の期待に少しは応えられたんじゃないかと思っています。

ちなみに、最後にお見舞いに行ったのは8月29日でした。その時は非常に元気で、「そろそろ秋だしもう少しで退院できると思うから、また飲みに行こう。」「先生と余市のウイスキー工場に行ってみたいです」なんて話をしていました。それからNくんの卒論が進んでいるのかということを心配していました。やっぱり最後まで人のことばっかり!

 

もう会えない。それじゃあ僕に何ができるんだろう。これを考えるとどうしても天国とか死後の世界があってほしいと願ってしまいます。僕はどうあがいても天国に行ける人間ではないのにね。

 今、ちょっとだけでも先生に会えるなら。そんなことばかり考えています。

 

4月から社会に出るわけですが、その前に今後の目標ができました。法学部に入ってこれまで法律の勉強は今ひとつでした。入学前は法曹に漠然とした憧れはありましたが、授業を受けてみて司法試験の壁の厚さに尻込みしてしまっていました。

しかし、高校時代に僕は先生に、法曹になってみたいと言ったことがあります。東大に行くことは叶いませんでしたが、何年か、もしくは十何年か先に司法試験を突破します。そして先生の墓前で合格を報告したい。内定の報告と同じく、一番最初に先生に報告しにいきたい。

現在、憲・民・刑法を中心に少しずつ勉強しています。来年からはまたペースが落ちると思いますが、いつか合格することを夢見て努力を続けます。努力する生徒を見捨てない先生なんだから、ゾンビにでも幽霊にでも悪魔にでもなって、僕の努力を見ていてほしいです。

 

先生、お世話になりました。60年後天国で会えたなら、先生の好きなマッカランを一緒に飲みましょう。たくさん伝えたいことや聞きたいことがあるけれど、今はあと2つだけ。

ありがとう。ゆっくり休んでください。