イエティを探す旅に出る(仮)

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外国での氏名の呼称

中学生になり英語の授業が始まった時に、不思議だったことがあります。それは英語の時の苗字・名前の順番です。現在では英語の場合も日本人は「姓→名」で名前を表すよう指導されます。
それまで「英語の時は姓名をひっくり返すんだよ」と聞いていたので、ひっくり返さなくていいのかなー、名→姓のほうがカッコイイなーと思いました。

英語の先生に尋ねたところ、簡単に言うと「○○人としてのアイデンティティ尊重の問題だよ」と説明を受けました。
この問題について、いつだったか作家の竹田恒泰さんがTwitterで「日本人なんだから当たり前」といった趣旨のツイートをしていたのを記憶しています。

ちなみに今まで日本人が「名→姓」で自己紹介することが多かったことによる誤解を防ぐため、ローマ字表記の際に、「姓(全て大文字)→名(頭文字だけ大文字)」や「姓→カンマ→名」という方法を採ることもあるようです。
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僕の意見を述べておきます。
アイデンティティ尊重のため自国の表記と同様にすべき」という意見はもっともなのですが、英語という言語自体も西欧文化の一部であるという視点が僕の認識のスタートにあったので違和感が拭えません。外国旅行にいって「自分は日本人なのだから日本語しか話さない」という人はいないでしょう。それはコミュニケーションを取る手段として英語を位置付けているからで、それならば順番も「伝わりやすいほうにしよう」と割り切って、今まで通り「名→姓」と伝えるほうが合理的じゃないかなと考えます。

「英語教育が始まった時は西欧に追従することが是とされたが今は違う、自国の文化を大切にすべき」という指摘があります。ただ、そこにアイデンティティや自国の誇りといったものを持ち出すのはナンセンスな気がします。
小さい頃「これからは英語が大切だ。外国と対等に戦うためには英語を身につけなくてはならない」と父が口癖のように言っていました。しかし僕はこれにも懐疑的でした。言葉はあくまで手段であり、日本人としてのアイデンティティを持つためには英語を完璧にするよりも前に日本のことを深く理解することがもっと重要ではないかと感じ、今も同様の考えです。

「外国人は日本に来た時に自国での順番に従って自己紹介するだろう」という問題もあると思います。しかし、私はそのような外国人の人々にも同様のことを指摘したいのです。確かに今更「レノン・ジョン」とか「マッカートニー・ポール」などと言われても違和感を感じることは否めませんが(笑)

いわゆる「保守派」の方々から批判を受けそうではあります。しかし伝統を大切にするからこそ、「郷に入っては郷に従え」ということわざを思い出すことも必要じゃないかなと思います。


長いこと書きましたが、これを文化の問題と捉えるならばそもそも「べき論」が適さないテーマなのでしょう。「TPOに合わせて、その中で曲げられないものがあればそれを利用する」というのが最も現実的な選択ではないでしょうか。