イエティを探す旅に出る(仮)

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多数決に対抗する手段はあるのか-前編

集団的自衛権を認めるという「解釈改憲」に向かう日本。官邸前に人が集まっていたという情報を聞いたのですが、ここで多数決への対抗というものを考えてみたいのです。


我々は、一応「人民主権」で「民主主義」を前提とした国に住んでいます。これは政治的決定を人民に委ね、自由と平等を愛するという原則を示しているはずです。
しかし現在自民党が議会の多数を占めている中で我々が政策に反対の意思を発する方法は限られています。デモ行進や街頭でのスピーチなどが代表だと思われますが、どれを見ても効果的とは言えないものです。例えば特定秘密保護法の決議の際には日本各地で反対運動がありましたが、結果は皆さん知っての通り。

思えば、この熱狂は今回に限ったことではありません。2005年の郵政民営化の否決に対し小泉純一郎衆議院を解散したことに伴う総選挙然り、2009年の政権交代を実現した衆議院選挙然り、最近の選挙を見ればいつでも勝者のわかりやすい選挙が続いています。
これ自体についての分析も新自由主義ポピュリズムなどと絡み面白いのですが、この度は割愛します。


このように野党が全く機能しない時に、歯止めとなりうる存在とは誰なのか、いくつか考えます。少し現実の日本を例に出しながら見てみたいと思います。

1つ目に、先ほども挙げた民衆の抗議が考えられます。しかし前述の通り、そのような形で民衆の声が政府に届くことは稀です。その理由は、
①母数が小さく政策として反映するメリットがない(彼らの運動が学生運動などを彷彿させ一般市民の共感も得にくいという悪循環)②ある程度決まった政策は選挙で選ばれた者によって作られているというレジティマシーを持つのに対し、市民の声にはそれがない
といったところでしょうか。シュンペーターの言うように政治がエリートによるものであれば、イレギュラーな市民の運動には無視を決め込むのが一番です。

2つ目に、連立政権の場合そのパートナーとなる政党に期待が寄せられます。与党内でももともとイデオロギーが完全に一致しているわけではないですから、社会で問題とされている事柄について第一党とは異なる考え方のことも十分あり得るわけです。しかしこの場合、パートナー政党が機能するためには前提が必要です。それは「連立を組まなければ可決できない」状態にあるということです。例えば定数475(この時過半数は238議席)として自民党が240議席持っていればそもそも連立は不要ですし、自民が235議席だったとしても他の政党が3議席分賛成すれば公明党は用済みということになります。


では我々は他にどのような手段を持ち得るのか。それについてまた今度考えたいと思っています。
体力がもたないので今日はこの辺りで。