イエティを探す旅に出る(仮)

ブログ名と内容は一切関係ありません。主に音楽、政治、哲学、お酒の話をします。

先生はリベラルなんかじゃない。

久しぶりの更新となります。ここ2週間あまりの間に、いくつかの官庁から内定を頂きました。その中には第一志望先もあり、ありがたいことです。面接では皆さん「御社が第一志望です」とおっしゃるようですが、僕はウソが顔に出てしまうようなので、第一志望先以外には「第一志望は(本当の第一志望先)です」と言っていました。その上で複数の内定を頂けたのは信じられないことです。卒業までに更に勉強を重ねて、住民のために活躍できる行政職員になろうと思います。どうせ組織で働くなら、トップを目指したいです。

 

話は変わって、ここしばらくは大学の集中講義に出席していました。大学院の授業だったのですが、もう卒業単位は3年生の前期であらかた取り終わっていたので、去年のゼミの先生で春に他の大学に転勤になった教授の授業を聴講していました。

その方は世間ではリベラル陣営の論客として有名なのですが、ゼミ以前に彼の授業を受けている時に「この人の考え方ってどちらかというと保守に近くないか?」と思っていた訳です。それで彼のゼミに入ったのですが、その時にはみんな(総勢6人という少数精鋭!)で政治学の古典を読むというスタイルだったので彼のスタンスがいまいち分かりませんでした。

このたび彼の講義に参加するにあたって彼の著作を何冊か読んだところ(ゼミの前には読んでいませんでした。ごめんなさい)、「やっぱりこの人は進歩派なんかじゃない、保守だろう」という思いを強くしました。日本の現状を見ると、新聞なんかで保守的な政治観を持っている人が増えているという記事が目に付きます。しかしそれを詳しく読んでみると、実は現政権支持であったり自民党支持を指しているということが少なくありません。僕は現政権について支持不支持はともかく保守だと思ったことはありません。保守の根底にあるもの、それは人間の不完全性を直視するということです。その一点のみにおいてさえ、現政権は保守足りえないのです。

そんなことを考えながら、先生+昔のゼミ生でご飯に行くことになりました。彼にそのような疑問をぶつけたところ、案の定というか、場が一瞬凍りました。その後に、彼は次のようなことを言いました。

「実は私は自分をリベラルだと名乗ってはいなかったんですよ。しかし自民党政権に対して反対の姿勢をとっていた結果、様々なところから私がリベラル派であるということを言われるようになりまして。私にとって現状はユートピアではない。しかしユートピアを作ろうとすることは理性万能主義に基づいた独善だ。まずは人間が不完全な存在だということを理解し、その上で社会を少しでも良くしていけるという楽観を持って政治にできることを1つずつやっていくしかない。不完全性を理解するというのは政治学に不可欠なリアリティーだよ」

 

先日の記事に書いたように、政治の分析において政治観は絶対に必要なものだとは思いません。保守・革新の二分法ももはや時代遅れなのかもしれません。ただ、どの政策を支持・不支持するにしても究極的にはそれの根底に思想があることは否定できません(手続き論的批判を除く)。

少し前に本屋さんに行くと、「これが保守だ!」みたいな本がたくさん並んでいることに驚きました。「保守ってブームで熱狂する類いのものとは縁遠いんじゃ…」と思いましたが、少し興味がわき数ページ読んでみることにしました。案の定というべきか、酷い有様のものがいくつも存在しました。とりあえず、古典読んでおらんだろと。テレビで「私は保守です!」みたいなことを言う人って、なんか胡散臭いんですよね。最近自らを保守的だと考える国民が増えているというニュースに迎合してるだけじゃないのかと。っていうか、そもそも国民がみんなバークを読んでる訳がない。

 

nationalismやpatriotismについても考えたいところですが、なにぶんこのブログでは論文を書いている訳ではないし、久々にバンド活動を再開して睡眠不足が続く日々なので、今日はこの辺で。